車中泊好きオジさんのブログ

車中泊記事を中心としたブログです。車中泊記事が無いときは日常も記事にしてます。             

オーストラリア ケアンズへの旅⑨

2018/7/28(土)
16時、ホテルを出発
娘が申し込んでくれたツアーに、みんなで参加します
 
集合場所までは歩いて行ける距離です
アボットStとスペンスStの交差点にある
免税店DFSギャラリア前バスストップ

 
ツアーのマイクロバスかと思ったら、



このバスではなくもう少し古いマイクロバスが来た
 
16時30分、バスに乗り込みバスストップを出発
パロネラパークまで90分の旅
 
運転手兼コーディネーターは日本人(男性)
 
A1道路を南下
 
A1道路は、郊外に出ると80km、場所によっては100kmのハイウェイ
100kmハイウェイは運転に集中するとのことで説明はなかったが、
ハイウェイ以外を走ってる時は、オーストラリの説明をいろいろしてくれた
 
西日がキツかったが、夕焼けになってきた


 
あの煙は何なんだろう 煙突からの煙か?


夕日と重なってキレイ 

18時、パロネラパーク到着
 
このワッペンを胸に貼るよう指示される


ツアーらしくなってきた 

この森林の横に



こんな廃墟があった 

軽食堂という名がついているらしい







 
***ミニ知識として***
パロネラパーク創設者は、スペイン人のホゼ・パロネラ氏
 
ホゼ氏は、
幼い頃から自分の城を持ちたいと心に強く夢を描いていた
しかし現実は厳しく、
その夢を叶えるため移民としてオーストラリアへ
16年という年月の努力と苦労の末、
サトウキビで一財を成し、
結婚を契機にいよいよ夢への一歩を踏み出す
 
荒れ果てたこの土地を購入し、
建築の知識や経験もないまま、彼自らが建設に着手する
設計図は頭の中、
施工手順も独学で資材はありあわせのものという、
無謀かつ大胆極まりない工事がスタート
6年を費やし執念で夢の城を完成させる
そしてこの城は、
第一次大戦の戦禍で疲弊した人々を癒す場として一般に開放された
 
1946年、不運にも大型サイクロンが直撃しパークは全壊
一度は再建を果たすも
完全復活の前にホゼ氏が胃ガンに倒れ無念のまま世を去る
彼の意志は家族に引き継がれたものの、
度重なる自然災害で維持が困難になりやむなく売却
やがて廃墟化して人々の記憶から忘れ去られていくことになった
 
そうして1993年、たまたまこの地を訪れた現在のオーナー夫妻が、
彼の生き方、パークの歴史に深く感銘し、
夫妻が土地を買い取って再建を果たし現在に至る
 


暗くなってきて、
ライトアップされたパロネラパークツアーです

キャッスル ホゼ氏が作った自分のお城








この場所にパラネロパークを建設する理由となったのがこの滝
ミーナの滝 ホゼ氏の1番のお気に入り


橋の上に吊橋がある

テレサの滝


娘の誕生日にプレゼントしたミーナの滝に似せて作った滝

ライトアップされた軽食堂の前で記念撮影 


昔はカフェだったそうです



カウリマツというオーストラリアの迷彩柄のもとになった木


暗くてよく見えないが、まっすぐ伸びてる木です
 
最後に、到着時に撮り忘れた入口の写真




 
パロネラパークツアーの次は、お食事です
 
ケアンズ方面に戻って、車で20
20時、Roscoe's Pizza Place到着 
 
このお店も店先にテーブルがあった、ここで食事ができる


 
イタリアンのお店 
もともとは、テイクアウトのお店だったようです


 
バイキング形式です


 
ビザ、パスタなど、いろいろあります
 
デザートも豊富


皆さん、デザートのお替りしていました
 
私のチョイス 左にあるのはお酒ではなくお水


トイレ付きのマイクロバスではないので、アルコールはガマン
 
ビザ、パスタではなく肉系


 
 

食事の次は、ケアンズに帰る途中のサトウキビ畑に駐車
 
 
 
満月の夜空を見上げ


 
星座鑑賞 南十字星ケンタウルス座、さそり座など
コーディネーターの方が説明をしてくれました



 
最後は、野生のワラビーがよく出没するという牧草地がある住宅地
 
食事中のワラビーが光を当てられビックリ


沢山のワラビーが草を食べに来ていたけど、
暗いので写真に収められたのは、この1枚のみ

22時20分、バスストップ到着
 
遅くなったけど、孫も元気に歩いてホテルへ
 
7/28 終了 

もう明日は帰る日だ 早いネ